momomomchiのANAマイルと旅行日記

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沖縄2-⑯:おきなわ郷土村①

熱帯ドリームセンターを出たら、道なりでおもろ植物園とおきなわ郷土村があります。入場料は無料です。広い敷地内にいろんなおきなわ郷土村の建物を見ることができます。

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おきなわ郷土村は、琉球王国時代(その中でも17~19世紀頃)の沖縄の村落を再現しています。御嶽(ウタキ)、拝井泉(ウガミガー)、神アサギといった伝統的な村落形態のなかに、再現された民家や高倉を見ることができます。

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南側エリアと北側エリアと分かれており、熱帯ドリームセンターからは南側エリアからはいります。

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今でもどこかでありそうな村落だなぁと思いました。昔はこんなところに住まれていたんですね。

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南側の一番手前には「奄美の民家」です。

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奄美の民家は主屋と台所が分かれている二棟建てになります。

主屋の間取りは前室「オモテ」、後室「ウチ(ウラ)」と2室が前後に並ぶのが基本で、のちに後室の中央に仕切りを入れて2室とし、全体で3室間取りへと発展していきます。前室は客間、後室は寝間となっています。台所は「トーグラ」といって主屋と板廊によって接続されます。一般に土間は設けません。

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全体図はこちらです。

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近年の民家

特徴:木造瓦葺貫木屋形式の一棟型建築

沖縄では1889(明治22)年、王国時代の屋敷や家屋に対する諸制限が廃止され、これを機に、従来規制されていた赤瓦が各地の農家にも使用されるようになり、今日みられる赤瓦屋根の集落景観が形成されるようになったそうです。

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近年の民家は、主屋と台所が一つ屋根におさまった一棟型で、縁側はなく、東と南に面して雨端(雨庇)がとられ、強い直射日光や横なぐりの雨が、室内に入らないように考慮されている点も特徴のひとつ。

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全体図。 

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与那国の民家

特徴:竹が多く使われていました。

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この民家は与那国島にかつてあった農家で、屋敷には主屋(ダ)、炊事場(チムヤー)のほか、周りに家畜小屋、小さな野菜畑が配置され、一般的な与那国の農家を示しています。また竹は建築材料として重要で、垣根をはじめ壁や床、戸、屋根裏の下地材料に多く使用されています。また与那国島の馬は小柄なので他の地域より馬小屋が小さめなのが特色です。

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全体図。

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王国時代の家

王国時代は建築用材に制限がありました。

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「王国時代の沖縄では、1737~1889年の間、身分によって屋敷や家屋の大きさが制限され、農村では屋敷が9間角(81坪、265平方m)、家屋は4間に3間の主屋一棟と、3間に2間の台所一棟に限られました。また、建築用材の使用にも制限があって、農家は屋根を瓦葺にすることを固く禁じられていました。この穴屋形式の建物は王国時代の農家を想定した間取りで、主屋と台所の二棟からなり、外周りの柱は雑丸太の磨きを使用。床板を低くとり、屋根は小丸太組みの茅葺になっています。」f:id:momomomchi:20170804175248j:image

全体図。

この王国時代の家は丸々して、かわいかったので結構印象に残りました。昔の暮らしを垣間見ることができたのかもしれません、村落を再現した上、無料に開放していることは素晴らしく思いました~

つづく~

 

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