momomomchiのANAマイルと旅行日記

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広島その⑪:原爆ドーム

原爆ドーム

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核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に登録された原爆ドーム。

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原爆の子の像から元安橋を渡って近くに行きます。

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橋の上からドーム周辺の人がたくさんいるのを見えました、しばらく橋の上からみてました。

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この崩壊された姿はなんともいえぬ悲惨な雰囲気が漂う。

近くに被爆された当時のことを解説するボランティアがいて、沢山の旅行客、海外の方々にもそのドームの歴史や被爆当時の情景を説明してました。

きっと、核兵器の廃絶と恒久平和の大切さを世界へ訴えているんです。

 

原爆ドームの碑

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回った裏にこの原爆ドームの碑がありました。

この原爆ドームは:

「大正4年(1915年)に広島県内の物産品の展示・販売をする施設として建てられ、広島県美術展覧会や博覧会も催されていました。設立当初は 「広島県物産陳列館」という名称でしたが、その後「広島県立商品陳列所」、昭和8年(1933年)には「広島県産業奨励館」に改称されています。

昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。人類史上最初の原子爆弾が炸裂したのは、広島県産業奨励館から南東約160メートル、高度約 600メートルのところ、爆風の圧力は1平方メートルあたり35トン、風速は440メートルという凄まじいもので、建物は爆風と熱線を浴びて大破し、 天井から火を吹いて全焼。爆風がほとんど垂直に働いたため、本館の中心部は奇跡的に倒壊を免れたものの、館内にいた人はすべて即死しています。戦後、旧産業奨励館の残骸は、頂上の円蓋、鉄骨の形から、いつしか市民から原爆ドームと呼ばれるようになりました。

昭和28年(1953年)に広島県から広島市に譲渡され、昭和41年(1966年)7月には広島市議会が原爆ドームの保存を決議を行い、その後、風化が進み、国内外での善意の募金により3回の大規模な保存工事が行われました。また、世界遺産リストへの登録を求めて、市や市議会、広範な市民運動の結果、平成7年(1995年)6月に国の史跡に指定され、文化庁からユネスコに登録申請。平成8年(1996年)12月、世界文化遺産へ登録されました。」

 

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「その一個の爆弾によって20万を超える人々の生命が失われ 半径約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟を化した この悲痛な事実と後世に伝え人類の戒めとするため 国の内外の平和を願う多数の人々の寄金によって補強工事を施し これを永久に保存する」

戦争というものは多くの命を無くし、生き残った人たちに身も心も癒えぬ傷を残し、人々を悲しませる恐ろしいもの。今この平穏の世に生きる私たちは身をもってその悲痛な経験を味うことはないが、けして忘れることなく、今生きるこの一瞬一瞬を大事にし、歩んで行かなければならないと思いました。。戦争で生きたくて生きられなかった命がたくさんがありましたから。

 

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